2008年02月09日

●注目

いいも悪いも含め注目されているハンドボール。
経験があるのですが、めちゃくちゃおもしろいスポーツですよね!!



世界選手権のアジア予選も「仕切り直し」だ。国際ハンドボール連盟(IHF)は8日、17日開幕の男子アジア選手権(イラン)を09年世界選手権(クロアチア)アジア予選と認めないことを、アジア連盟(AHF)に通達した。予選はIHF管理下で開催されるべきところを、AHFが「中東の笛」の元凶となったレフェリー指名権を譲らなかったため。IHFはアジア予選の別開催を決め、AHFに通告した。それでも日本協会は「選手のプレーする場を奪えない」と、アジア選手権出場の意向だ。

 五輪に続いて世界選手権まで、アジア予選が別開催となる。ハンドボール界は、五輪と世界選手権という2大イベントのアジア予選が、ともに通常の形では行われない異常事態に陥った。IHFはAHFに通達すると同時に、日本を含むAHF加盟国にファクスで正式文書を送信。IHFは役員も送らず、アジア選手権から完全に撤退する。

 IHFの管理を離れ、アジア選手権で再び「中東の笛」が吹き荒れることは必至だ。AHFが死守したレフェリーの指名権こそが「中東の笛」の元凶。重要な試合に、中東のレフェリーを送り込んで試合を左右する。その権利を持つことでアジアを牛耳ってきた。

 アジア選手権が世界舞台に直結しない「ただの地域大会」となっても、日本代表はイランに乗り込む。渡辺佳英会長は「基本的に、どんなことがあっても参加する」。川上憲太専務理事も「選手のプレーする場を奪いたくない」と、試合をすることを優先した。

 AHFはすでにIHFと日韓に徹底抗戦の構えだ。北京五輪アジア再予選に参加した日本と韓国に1000ドル(約10万5000円)の罰金と警告処分を科した。それに対し、渡辺会長は「何も違反をしていない。罰金を払う理由はない」と完全拒否。韓国側も拒否を決めている。日韓双方ともにIHFをバックに、正当性を主張している。

 ただ、このままイランに乗り込めば、何が起こるか分からない不安はある。AHFのアハマド会長は「罰金を払わなければアジア選手権に出られない」と警告している。市原則之副会長は、中東情勢に詳しい鶴保庸介参院議員に協力を要請。鶴保議員は、東大時代、ハンドボールをしていたこともあり、快く引き受けた。日本は「中東の笛」を恐れず、苦しんできた十数年の雪辱を期し、イランに乗り込む。【吉松忠弘】



2008年02月08日

●ポスト清原

中田選手。おもしろい!!これはポスト清原ですね〜。



三振あり、失策あり、ズッコケありのドタバタデビューになった。日本ハム高校生ドラフト1巡目の中田翔内野手(18)が7日、紅白戦に4番三塁で出場した。注目された初実戦だったが、打っては2三振を含む4打席無安打、守備では失策も記録した。ベンチにいてもファウルボールを避けようとして、ベンチごと尻もちをついてスタンドの笑いを誘うなど、目立ちまくり。プロの洗礼こそ浴びたが、怪物は意に介すことなく、今後へ気持ちを高ぶらせた。

 “プロデビュー戦”。悔しい気持ちは残ったが、手応えをつかんだのも確かだった。「最初は前に(打球が)飛ぶか心配で、打席に立ちたくないくらいだった。ブンブン丸になるだろうなと思っていました。でもフルスイングができた。今の自分のレベルを考えたら上出来だと思います」。そうはっきり口にした。

 注目の第1打席。対した吉川が制球を乱し、ひと振りもすることなく一塁へと歩いた。特大弾を期待したファンは拍子抜けしたが、この打席がキーポイントになった。「速かった。手元で伸びてくる」というプロの速球はしっかりと見極めた。「前に突っ込まずに待つことができた。あの四球が大きかった」。続く2打席目は左飛。3、4打席は変化球に空振り三振。第4打席の三振ではバットを遊撃の位置まで飛ばしてしまったが「外のボールに、バットを投げて当てにいくクセがあるんです。高校のときからよくある光景なんです」と冷静。「バッティングはいい感じです」と悲観的な言葉はなかった。平野打撃コーチも「ボールの見方は悪くない。フリー(打撃)のときのように変に崩れることもなかったね」と評価した。

 バットには手応えも、課題の三塁守備は反省しきりだった。この日は一塁への悪送球で初失策を記録。5回には、ジョーンズの三遊間よりの強烈な打球に反応するも、グラブをはじかれて安打。続く6回には三塁線を襲う打球に反応できなかった。試合後には自主的に居残り特守に参加。「守備はまだまだです」と振り返った。

 プレーでは目立てなかったが、持って生まれた“スター性”は発揮した。通常の三塁ダッグアウトより5メートルほど前に置かれた仮設ベンチで、味方の攻撃を見守っていたときだ。左打者村田のファウルボールが怪物を襲う。足を上げて避ける中田。と同時に浮き上がるベンチ。ドスン。100キロを超える巨体が、ベンチとともに尻からズッコケた。球場は今キャンプ最多の2500人が大爆笑。「久々に焦ったっす」と本人も照れ笑いを浮かべ、梨田監督も「(何かを)もってるねぇ。あそこになかなか飛ばないよ。笑ったね」と高く“評価”した。

 次の実戦は初の対外試合となる10日の阪神戦(名護)。「バッティングは少し、何かをつかめたような気がします」。自信に満ちた言葉から、第2弾の中田SHOWは、バットで主役を張ってくれる予感が漂った。【本間翼】



2008年02月07日

●雪の中

昨日、最初から観ようと思っていたのですが

間に合いませんでした。サッカー。

厳しい寒さの中でしたが、見事勝利で終えてなによりでしたね。



FW大久保嘉人(25=神戸)が、岡田ジャパンを救った。日本代表は、10年W杯南アフリカ大会への第一歩となる試合で、格下のタイ相手に失点するなど大苦戦。しかし、後半9分に大久保が右足で値千金の勝ち越しゴールを決め、4−1の勝利に導いた。前回のW杯ドイツ大会で代表から落選した男が、4大会連続4度目のW杯出場を目指す日本の船出を飾った。同じ組ではバーレーンがオマーンを1−0で破り、日本は得失点差で予選2組1位発進となった。

 本能で足を前に出した。1−1の後半9分。大久保は右足を思い切りゴールへ伸ばした。左サイドを山瀬が突破し、1度はDFにはじかれたボールが中村憲を経由してゴール前へ。右足アウトで放ったシュートは、タイゴールへと吸い込まれた。気温0度。雨から雪へと変わり、寒さと、ふがいない試合内容で静寂に包まれたスタンドを大歓声に変えた。

 大久保 あれはごっつぁんです。ゴール前がガチャガチャっと(混戦と)なってて、万が一(ボールが来る)と思って行った。リードできて楽になった。大事な試合やし、良かったよ。

 忠実に指示を守った。前半は攻撃が停滞。ハーフタイムに岡田監督から「お前は(ゴール前に)残ってろ。お前がサイドに流れたら、誰が点を取るんや」と言われていた。前半21分にはドリブル突破から相手の反則を誘発し、先制点となった遠藤のFK弾を演出。試合開始から後半途中にかけ、攻めあぐねた苦しい時間帯に生み出した2点だからこそ価値があった。

 公約通りの1発だ。試合前、携帯に友人から「決めろよ」とメールが届き「分かった。頑張るよ」と返信した。前日5日にも「点を取る。大事な試合やから」と宣言。前回ドイツ大会のW杯予選は、既に最終予選進出が決定し、消化試合だった04年11月17日1次予選シンガポール戦(埼玉)だけに出場した。初めて臨む真剣勝負の舞台で、あえて自分に重圧をかけてピッチへと向かった。

 決して万全ではなかった。昨年12月下旬に右ひざの手術を受けた。周囲には一切、漏らさなかった。痛みを隠して練習を続けてきた。「だいぶ自分を追い込んだよ。勢いだけでやってきた」。決戦4日前となった2日に炎症が再発。ドクターストップがかかり練習を欠席した。仲間が調整を続けている2時間半、ホテルの自室でテレビを見ていたが、映像は頭には入らなかった。「練習がしたい。何でこんな大事な時期に…」。イライラが募っていた。

 前回W杯では、所属のマジョルカで定位置をつかめず、代表入りを逃した。悔しさを胸に刻み、最高の形で10年W杯への1歩をしるした。この日もFW−トップ下と柔軟なポジション変化にも対応。国際Aマッチ3得点目は、11年ぶりにW杯予選に臨んだ岡田監督を、そして日本を救う貴重なゴールだった。

 大久保 褒めなくてもいいっすよ。まだまだ先は長い。次(の試合)もすぐに来るからね。

 夢にまで見たW杯へ、思いのすべてを込めて臨んだ一戦で結果は出した。だが満足はしない。南アフリカの舞台に立つまで、最高の笑顔はとっておく。【益子浩一】



2008年02月06日

●再起

本気の井上選手をもう一度みたいですね。



柔道男子100キロ超級の井上康生(29=綜合警備保障)が、5日に成田空港発の航空機で、フランス国際(9〜10日)の開催地パリへ出発した。全柔連関係者によると、同国際には07年世界選手権同級王者のリネール(18)を筆頭に、各国の強豪が続々とエントリーすることが判明。代表争いで3番手以降に甘んじているなか、激戦大会を制せば北京に向けて大きなアピールになる。

 「結果が出ないと(北京は)厳しいということは分かっている。練習していたことが出せれば結果は出る」と力強い。男子日本代表の持田コーチは「この中で勝てば大きなアピールポイントになる」と断言。07年世界選手権無差別級金メダルの棟田(警視庁)、同12月の嘉納杯で井上を下し優勝した石井(国士舘大)に広げられた代表レースでの差を一気に挽回(ばんかい)できるチャンスだ。新婚の亜希夫人も観戦予定の大会で、大勝負に出る。

[2008年2月6日8時41分 紙面から]