2008年05月06日

●サヨナラ負け

サヨナラ負けの嫌な雰囲気も払拭!!さすが今年の阪神は違う!!



1番の赤星から7人の打者が連続出塁し、7連続得点。前日のサヨナラ負けの嫌なムードを、開始わずか20分間で吹き払った。

 相手マウンドは、前回対戦で完封負けを喫した中田。球威はあるが、制球にやや不安を抱える。その立ち上がりを一気に攻めた。

 ポイントは新井だった。赤星の二塁打と平野の内野安打で無死一、三塁。「絶対に先制したかったので、気持ちを入れて打席に入った」という新井は、カウント2―2と追い込まれた後、フォーク、速球、スライダーをことごとくファウルにすると、8球目、高めに浮いたフォークを左前へ運んだ。

 ウイニングショットとする球種をいずれもカットされたうえ、先制点も奪われて力む中田に対し、金本が四球を選ぶと、葛城以下が3連続タイムリーを放った。

 ここまで31試合、阪神は連敗が一度もない。そのキーマンとなっているのが、新井だ。チームが敗戦した直後の9試合は、38打数18安打12打点の活躍で、連敗阻止に大きく貢献している。

 2位中日との3連戦で、3試合連続の“猛打賞”。広島から移った今季、誰よりも勝利を渇望する男が、首位を走るチームのアクセルを踏み続けている。

(霜田聖)
阪神・岡田監督「(一回の攻撃は)珍しいよな。初回だから、まず1点、と思っていたのだが。(連敗がないことについて)結果的にそうだが、連敗がないというのは不思議」

 一回に7人目の打者として適時2点三塁打を放った阪神・矢野「チームの流れに乗せてもらった。こういう攻撃ができて自信にもなる。いい勝ち方ができた」

(2008年5月6日 読売新聞)


2008年05月05日

●仕方ない?

まぁラッキーな一発をもらうこともあるでしょう。



先発岩田が粘りに粘って6回無失点に抑えたのに、久保田がゲームをつぶしてしまった。快勝ペースの中日戦は8回裏にセットアッパー久保田が同点に追いつかれて暗転。今季2度目の延長戦で10回裏につぎ込んだストッパー藤川が、プロ入り初のサヨナラ本塁打を李炳圭に浴びてしまった。金本タイムリー、鳥谷アーチなど勝ちパターンの要素がたっぷりのゲームを盤石のリリーフ陣で落とし、2位中日に1・5ゲーム差と再び接近を許した。

 クルリと空を切るはずの李炳圭のバットに、白球が当たってしまった。まさか、サヨナラ…。左翼への飛球がフェンスの奥に消えるのを見て、藤川球児も目が点になった。イメージし難い一発を浴びて、今カードの勝ち越しや今季最多の貯金13などはすべてお預けとなった。

 「うまいこと打たれた感じです。引きずることもない。こういうこともあるのだけど、迷惑をかけてしまったので頑張らないと」

 落ち込んでいられなかった。被弾は昨年10月1日の横浜村田以来で、今季初。サヨナラで敗戦投手になるのも昨年9月25日横浜戦以来で、今シーズンは初めてのことだった。

 打順の巡り合わせもあり、同点の10回裏に登板した。4番ウッズ、5番和田を退け、この日再三のチャンスで凡退していた李炳圭もカウント2−1とあっさり追い込んだ。決めにいった外角フォークを運ばれて、あっけない結末を迎えた。

 「球児が打たれたらしゃあない。まだこの時期だし、2イニングいかせるつもりはなかったけどな。まあ8回やんか。久保田も連投、連投でやっているわけと違うのにな」

 岡田監督は少しの悔いを残しながら振り返った。先発岩田は6回無失点。2回から5回まで毎回得点圏に走者を置きながら粘った。7回を渡辺が抑え、2点差で久保田投入なら勝利確率は急上昇…のところで鉄板のシナリオが崩れた。

 先頭ウッズに右前打、和田の右中間二塁打でピンチを広げ、中村紀に同点二塁打を中堅フェンスにぶつけられた。打者4人で2点を返され、リードをフイにした。久保田は「何とか…」と話すのが精いっぱい。「したかった」の言葉さえも口にできなかった。

 このナゴヤドームで12回延長引き分けを演じたのが4月24日のこと。久保田はおきて破りの4イニングを抑える熱投でドラ打線に立ちはだかった。ウィリアムスは2軍調整中。JFKが結成された05年以来、藤川と久保田の2人がそろって失点するのはこれでたったの4度目。他の3投手が無失点というきわめて珍しいケースでの敗戦は、誰もが「しゃあない」と割り切るしかなかった。【町田達彦】

 [2008年5月5日10時45分 紙面から]


2008年05月03日

●役者

役者がテレビで見れる日が近い!?



 左ひざのリハビリを続けてきたオリックス清原和博内野手(40)が、3日のウエスタン・リーグ阪神戦(北神戸)で実戦復帰する。試合出場は06年9月以来で、指名打者で2打席出場する予定だ。

 昨年7月にプロスポーツ選手としては前例のない軟骨移植手術を受け、4カ月間は松葉づえの生活。我慢のリハビリを続け、4月中旬には「(実戦舞台が)何となく見えてきてるし、今が踏ん張りどころ。この4月、5月で勝負をかけていきたい」と話していた。1日500球近くを打ち込んで準備を整えてきた。

 本屋敷コンディショニングコーチは「階段を少しずつ上って中で、実戦での調整が可能なレベルまできました。これからは引き続き、ひざの状態に合わせてということになりますが、実戦を含めたリハビリに挑戦していくことにしました」と説明した。あくまで完全復帰の過程で、その1歩となる。

 清原は「(2軍戦出場の)その時、衝撃はどれくらいあるのか。感覚を取り戻すのに、どれぐらい時間がかかるかは正直、想像できない」とも話していた。2軍戦で実戦感覚を戻し、1軍代打、そして先発出場へと青写真を描く。清原がいよいよ復活ロードのスタートに立つ。

 [2008年5月3日8時31分 紙面から]


2008年05月02日

●伝説の・・・

こうして語り継がれていく選手をオンタイムで見れる幸せはありますね〜。



2000年シドニー五輪柔道の金メダリストで、北京五輪は代表を逃した井上康生(29)が2日、所属する東京都港区の綜合警備保障本社で記者会見し、引退を表明した。

 井上は「わが柔道人生に悔いはなしという気持ち。柔道家として、井上康生として皆さんに愛され、友人、家族らに支えられて本当に幸せ者だったと思う」と話した。

 井上は1996年、17歳で全日本選手権に初出場し、シドニーでは100キロ級で金メダルを獲得。01年から全日本選手権を3連覇。世界選手権も1999年から3大会連続で制し、日本柔道界のエースとして活躍した。

 04年のアテネ五輪で敗れたことをきっかけに、100キロ超級に転向。05年1月の右胸の大けがからは再起したが苦戦が続き、4月29日の全日本選手権では準々決勝で敗れ、3大会連続五輪出場はならなかった。

(共同)